「あの人には財産なんて何もない。借金だけだと思う」
相続の相談で、こういう話を聞くことがあります。長く連絡を取っていない兄弟姉妹や、叔父・叔母について、家族が心配しているケースです。
資産より債務が多いことが明らかな相続では、相続放棄が有力な選択肢になります。制度としては、はっきり用意されています。司法統計によれば、相続放棄の申述の受理件数は年間30万件を超えており、決して珍しい選択ではありません。
問題は、制度があるかどうかではありません。その死を知ることができるか、そして知ってから期限内に動けるかです。
相談の中心は、借金の額ではなかった
実際の相談で、ギャンブルが好きで借金の心配がある独身の弟を持つ方がいました。弟には配偶者も子もおらず、両親などの直系尊属もすでに亡くなっていました。
この状態で弟が亡くなれば、兄である相談者が相続人になります。さらに、相談者が弟より先に亡くなっていれば、相談者の子どもが甥・姪として代襲相続人になる可能性があります。
相談者が心配していたのは、借金がいくらあるかではありませんでした。
「自分が先に亡くなった後、弟が亡くなったことを子どもたちは知ることができるだろうか。知らないまま時間が過ぎてしまわないだろうか」

この言葉が、今回の記事の出発点です。
相続放棄には期限がある
相続放棄は、家庭裁判所に申述して行います。期限は、亡くなった事実と、それによって自分が相続人になったことを知った時から3か月です。この3か月を熟慮期間と呼びます。
「死亡から3か月」ではなく「知った時から3か月」である点は重要です。たとえば、先に相続人になる立場の人(子など)が全員相続放棄をしたことで、兄弟姉妹が新たに相続人になることがあります。その場合、死亡を知った時点から直ちに3か月が始まるとは限りません。

ただし、相続制度を知らなかったというだけで、当然に3か月の開始が遅れるとは限りません。いつから期間を数えるかは、死亡や親族関係、先順位者の相続放棄などをいつ知ったかによって個別に判断されます。
また、相続財産がまったくないと信じていて、そう信じたことに相当な理由があると認められる場合には、債務の存在を知った時などから起算されると判断された裁判例もあります(最高裁昭和59年4月27日判決)。ただし、これは例外的な取扱いであり、「知らなかったと言えば認められる」というものではありません。期限が過ぎているように見える場合でも、諦める前に専門家へ相談してください。
怖いのは、借金があると知らないまま時間が過ぎること
疎遠な親族が亡くなったとき、家族に連絡が来ないことは珍しくありません。
賃貸住宅で亡くなった場合、警察や自治体が親族を探すことはありますが、必ず連絡がつくとは限りません。戸籍をたどって連絡先が判明するまでに時間がかかることもあります。
一方で、債権者は債務者の死亡を把握すると、相続人を調べて請求してくることがあります。その封筒が届いたときに初めて事情を知る、という順番になることもあるのです。
このとき困るのは、届いた書類を見ても、それが借金の全体像なのか一部なのか分からないという点です。財産がまったくないのか、それとも不動産があって抵当権がついているのか。判断材料がないまま、3か月という時間だけが進んでいきます。

だからこそ、備えておくべきなのは「借金がいくらあるか」を今から突き止めることではなく、死亡したという事実が家族に届く仕組みと、そのとき何を見ればよいかが分かる状態を作っておくことです。
残しておくべきは、「引き受けてはいけないかもしれないもの」の情報
終活というと、通帳や保険証券、不動産の権利証をまとめることを想像します。ですが、借金の心配がある親族については、逆の情報が必要になります。
具体的には、次のようなことを書き残しておくと、家族の負担が大きく変わります。
- 疎遠な親族の氏名と生年月日
- 分かる範囲での住所
- 自分との続柄(相続順位を確認するために必要です)
- 借金や滞納があるかもしれないと聞いた経緯
- その人と連絡を取り合っている別の親族の連絡先
- 過去に届いた督促状や通知書があれば、その保管場所
自分が把握していることを書き残しておかないと、家族はゼロから調べることになります。

あわせて、家族に伝えておいてほしいことがもう一つあります。先に相続人になる人が相続放棄をすると、次の順位の親族が相続人になるという仕組みです。自分は関係ないと思っていた立場の人に、順番が回ってくることがあります。
相談事例では、弟の現住所と管理会社の電話番号を書いた紙を作り、相談者の子どもたちに一枚ずつ渡しておくことにしました。関係が良くなくても、情報の線まで切る必要はありません。
「知った日」を記録しておく
熟慮期間の起算点は、後から争いになることがあります。死亡の連絡を受けた日、誰から聞いたか、どのような内容だったかを記録しておきます。

督促状や裁判所からの通知が届いたなら、その日付も重要です。封筒は消印が残るので、中身と一緒に保管します。メモは手書きでもスマートフォンでも構いませんが、日付が分かる形で残しておくことが大切です。
何より大切なのは、財産に手をつけないこと
もし借金の心配がある親族が亡くなり、相続人になったかもしれないと分かったとき、守ってほしいことがあります。
判断が固まるまで、財産を動かさないことです。
亡くなった方の預金を解約する、車や家財を売る、借金の一部を故人のお金で返す、賃貸物件を解約して遺品を持ち帰り自分のものとして使う。こうした行為は、相続財産の処分として、相続を単純承認したものとみなされる可能性があります(民法921条1号)。単純承認とみなされれば、その後は相続放棄ができなくなり、債務も引き継ぐことになります。

もっとも、財産の現状を維持するための保存行為など、直ちに処分に当たらない行為もあります。何が処分に当たるかは、実際の状況によって判断が分かれます。片付けたい、手続きを進めたいという気持ちは自然なものですが、自分で線引きをせず、手をつける前に相談するという順番を守ってください。
なお、公共料金や家賃を相続人が自分のお金で立て替えた場合など、支払いの原資によって評価が変わることもあります。すでに何かに手をつけてしまった場合も、隠さずに事実を伝えて相談したほうが、取れる手が残ります。
相続財産とは別に扱われるお金もある
一方で、亡くなった方に関係するお金でも、相続財産とは別に扱われるものがあります。ただし、根拠も取扱いも一つずつ異なるため、まとめて理解しないほうが安全です。
死亡保険金は、契約で指定された受取人が受け取る、その人固有の財産と扱われるのが原則です。そのため、相続放棄をした人でも受け取れる場合があります。
ただし、税金の種類は保険料の負担者などによって異なります。亡くなった方が保険料を負担していた死亡保険金は、相続税上のみなし相続財産になります。相続放棄をした本人が受け取る保険金には、生命保険金の非課税は適用されません。
※非課税限度額を計算する「法定相続人の数」には、相続放棄をした人も含めます。

未支給年金は、年金を受けていた方が亡くなった当時、その方と生計を同じくしていた一定範囲の遺族が、自分の名義で請求するものです。法律で受け取れる人の範囲や順位が定められており、死亡保険金とは制度上の根拠や取扱いが異なります。
いずれも、個別の契約内容や状況によって結論が変わります。受け取ってよいかどうか迷ったら、受け取る前に確認してください。
まとめ
資産より債務が多い相続では、相続放棄が有力な選択肢になります。ただし、その前提として、死亡を知ることができ、知ってから3か月の間に判断できる状態が必要です。
今できることは三つです。

- 疎遠な親族についても、家族が状況を把握できるように情報を残しておくこと
- 先順位の相続人が相続放棄をすれば、次の順位に回ってくるという仕組みを共有しておくこと
- いざそのときが来たら、財産に手をつけず、早めに専門家へ相談すること
財産を残せなくても、家族が困らないための情報は残せます。
次回:亡くなった人の借金を調べる方法——信用情報の開示と相続放棄の手続き
信用情報の開示請求、信用情報に載らない債務、相続放棄の必要書類、3か月で調査が終わらない場合の対応を整理します。
※本記事は制度の一般的な説明であり、個別の事案に対する法的・税務的な助言ではありません。相続放棄の可否や期限の起算点は事情によって判断が異なります。実際の手続きは弁護士・司法書士・税理士等の専門家にご相談ください。
参考資料
- 裁判所「相続の放棄の申述」
- 最高裁判所「司法統計年報」
- 最高裁判所昭和59年4月27日判決
- 国税庁「相続税の課税対象になる死亡保険金」
- 国税庁「死亡保険金を受け取ったとき」
- 日本年金機構「年金を受けている方が亡くなったとき」
- 日本経済新聞「相続の基礎③ 借金や未払い金も引き継ぐ」(2026年8月29日)